「あんたがくると部屋の中が明るくなっていいねー」
初めて担当した寝たきりの男性から、ある日ふいにこぼれた言葉だった。それが、介護の仕事を続けてきた原点になっている。資格や技術より先に、人と人との間に流れる空気がある。その気づきを、ずっと手放さずにいたいと思ってきた。
「介護」という言葉が生まれる前、人々は当たり前のように助け合っていた。ところが今の社会には、「介護している側」と「介護されている側」という見えない境界線がある。その境界線が、お互いを余計に構えさせているのではないかと感じることがある。言葉そのものが、人と人の間を分ける心の壁になっているとしたら、その壁はいつか取り払えるものだろうか。
「介護している人が介護していると思わないように。介護されている人が介護されていると思わないように。」――そんな関係が、普通の日常として広がっている社会を見たい。それが、長年この仕事を続ける中でたどり着いた、変わらない願いだ。
世の中に「正しい介護」や「良い介護」という明確な答えは存在しない。時には介護の技術すら必要ないこともある。マニュアルや形式よりも、目の前にいるその人にとって何がいちばん大切かを問い続けるプロセスこそが、介護の本質だと考えている。良かれと思って何でも手伝う「してあげる優しさ」が、本人の役割を奪ってしまうことがある。人は、誰かの役に立っている、あるいは自分にしかできない役割があると感じるからこそ、頑張ろうという気持ちが湧いてくる。洗濯物を畳む、植物に水をやる、そんなささやかな行為が、生きる意欲につながっている。
介護する側と介護される側が、お互いのことをよく知り、時間をかけて一歩ずつ歩み寄ることができれば、きっと介護は楽しくなる。本人がどんな人生を歩んできたのか、何を大切にしてきたのかを知ることが出発点になる。過去の仕事、趣味、繰り返し語られる昔話――その中に、その人らしさを引き出すためのヒントが隠れている。本人の思いに共感し、気持ちに寄り添うことで、かたくなだった表情がほぐれていく瞬間がある。その瞬間を積み重ねていくことが、介護を単なる作業ではなく、人と人との対話へと変えていく。
「介護」という言葉をなくし、介護という行為がごく普通の「生活の風景」となる社会にしたい。制度やサービスだけに頼るのではなく、家族や地域が当たり前に助け合える環境が育めば、介護離職という言葉すら必要のない未来もありうる。要介護の状態になっても、そこに希望がある。どんな状況でも、本人の笑顔やささやかな喜びの中に、光を見出すことができる。冒頭の男性の言葉が今も胸に残り続けているのは、そういうことだと思っている。介護の場に「明るさ」が宿るとき、それはもう特別なことではなく、当たり前の暮らしの一コマになっている。
