15年間、母が要支援でいられた理由


介護の仕事を始めてから、一番の成功事例は自分の母親だった。15年以上、要支援をキープし続けた。

 

心臓に人工弁とペースメーカーを装着し、身体障害者1級の認定を受けていた。一人暮らしで、年に2回ほど自宅の緊急通報システムのお世話になっていた。週1回の訪問介護では、無理な姿勢が必要な風呂とトイレの掃除だけをお願いしていた。それ以外の日常生活はほぼ自分でこなしていた。

 

こうなった理由はシンプルだ。家族が直接手を出すのをやめ、「見守り」「うながし」「はげまし」に徹したからだ。父親が亡くなってからは特に徹底した。最初は親戚や近所から「親不孝」「冷たい」と散々言われた。それでも続けた。

 

自立支援の本質は、できることを奪わないことにある。良かれと思って手を出しすぎると、本人の役割が消え、意欲が失われ、身体機能の低下が一気に進む。日常の家事や動作そのものが生活リハビリになると知っていれば、「してあげること」が必ずしも優しさではないとわかる。

 

母は「自分のことは自分でする」を生きる目標にしていた。以前は介護への拒否感も強く、デイサービスは最後まで断固拒否だった。それでも行動範囲は広がっていった。駅のエレベーターを使いこなし、交通機関を乗り継いで外出していた。できないと思っていたことができると、自信になる。その積み重ねが15年以上の要支援キープを支えた。

 

近所では同じ一人暮らしの仲間と互助のつながりができ、「自分でどんどんやらなきゃダメよ」と周囲を煽るほどになっていた。前向きな発言も増えた。愚痴より「やってみたら案外簡単だった」「友人と出かけてきた」という話の方が多かった。

 

どうしてもできないことは一緒にやった。お墓参りや電化製品の買い替えがそうだ。シンプルで使いやすいものを選ぶ判断は、家族がそばにいてこそできる。適度な距離感を保ちながら、必要なときだけ手を貸す。そのバランスが、親子関係を穏やかに続けることにもつながっていた。

 

要支援をキープしていたことは、家族の負担がほぼなかったことを意味する。悪化しなかったこと自体が、最大の成果だった。地域の友人たちと一緒に年を重ね、自分らしいリズムを最後まで守り続けた母の姿は、介護とはどうあるべきかを、今も教え続けてくれている。